20代で冠攣縮性狭心症になりました
はじめまして!
ご覧いただきありがとうございます、すいと申します。
普段は漫画を描いたりしてのんびり暮らしている20代女性です( ´ ▽ ` )
物々しいタイトルで驚かれた方もいるかもしれませんが、タイトルの通り、20代にして狭心症になってしまいました、、、。
今回は発覚した経緯を説明していこうと思います。
狭心症とはいっても、私の狭心症は動脈硬化などで起こる所謂「労作性狭心症」とは異なり、冠動脈に一時的な痙攣が起こる「冠攣縮性狭心症」というものでした。
どうやら自律神経の乱れやストレスなどが関係しているようなのですが、現代医学では治る見込みのない謎の狭心症なようです。(泣きたい!)
ことの始まりは昨年11月中旬。
午後から昼寝をしていたら、突然胸が苦しくなり動悸が激しくなりました。
「死ぬ!」
と思い飛び起きましたが、少しすると落ち着いてしまいます。
その時は「疲れてるのかな?」などと考えあまり気にしませんでしたが、それからどんどん胸の苦しさの起きる頻度が増していきました。
夜は眠れず、昼間もなぜか少し動くとだるくて動けない、そんな日々が続いていましたが、11月後半のある日の夜。
これまでとは違う、かなり強い心臓の圧迫感でした。
これはまずい!と思い、家族にすぐに救急車を呼んでもらい救急搬送。
でも、救急車の中で苦しさは落ち着いてしまいました。
あんなにつらかったのに!なぜ?
結局点滴をされて帰されてしまいました。
しかしそれからも胸の圧迫感は何度も襲ってきます。
その2日後、寝入りばなにまたもや死ぬかと思うほどの胸の圧迫感、嘔吐、左腕や左肩の痛みに襲われます。
「今回こそ本当に死ぬ!!!」
と思い、もう一度救急車を呼んでもらいます。
が、しかし。
なんと!またもや救急車に乗って病院に着く前には落ち着いてしまったのです。
流れは前回と同じで、点滴だけして帰ることになりました。
腑に落ちないまま帰宅しましたが、寝るとまたもや同じレベルのひどい圧迫感。
何かが明らかにおかしい、死ぬかもしれないという恐怖から過呼吸を起こしている私を見て、両親も只事ではないと思ったのか、ついさっき搬送されて帰されたばかりの病院の救急外来受付に電話をしてくれました。
かなり病院側も渋っており、なんともないのにまた来るの?みたいな空気が伝わってきます。汗
それでも両親の必死の訴えでなんとか受け入れてくれることになり、3度目の救急外来へ。
もう救急の看護師さんたちからは挨拶もありません(笑)
「こいつまた来てる」という視線を肌に感じながらもベッドに寝かせてもらいました。
「あの子、なんなの?どうせパニック障害でしょ」
とぼそっと言われたりもしました。
結局救急外来ではなにも分からなかったので、そのまま外来の始まる時間まで救急のベッドで寝かせてもらい、循環器内科へ車椅子で向かいました。(救急の皆さんお世話になりました…)
循環器の受付の方が
「そちらの用紙には△△先生と書いてあると思うんですけど、不整脈に詳しい○○先生に変更しておきましたので」
と、気を利かせてくださいました…!
私は診察や検査を待つ間自分の症状をネットで調べていて、症状がまさに「冠攣縮性狭心症」だったので、これじゃないかなぁとの目星をつけていました。
一度診察をし、その後様々な検査を終え、もう一度診察へ。
そこで先生から言われた言葉は
「冠攣縮性狭心症、という珍しい狭心症じゃないかと」
思わず泣きそうになりました。
発作が頻発するようになっていた10日ほどの間ほとんど一睡もできておらず、自律神経は乱れまくり身体は常にガタガタと震え、脈拍は150超え、寝ようとすると心臓が苦しいのに、救急車で運ばれても誰にもわかってもらえない…
そんな苦しみから解放された気持ちでした。
狭心症だと言われたショックよりも、喜びの方が大きかったんです。
ああわかってもらえた、やっと治療してもらえる。
先生がまるで神様に見えたんです。(笑)
先生からはコニールというCa拮抗薬(血管の痙攣を止める薬)とニトログリセリンを出してもらい、24時間ホルター心電図を付けて帰宅しました。
正直つらすぎてほとんど記憶がなく、救急のくだりは曖昧です(笑)
両親曰く救急外来には4回行ったそうなのですが、どのタイミングで行ったのか全く思い出せません、、、
文字でまとめると簡潔ですが、本当に壮絶な11月でした。
まあこんな感じでゆっくりと、闘病の日々のことを綴っていけたらと思います!
よろしくお願いします(*^^*)